バイク買取一括査定 > バイクレースに関するアラカルト・モータースポーツ(バイク)その1

バイクレースに関するアラカルト

モータースポーツ(バイク)その1

1)日本

トライアルでのペナルティは、次の通りです。
まず持ち時間でのタイムペナルティは、スタート遅れ1分までごとに1点減点。スタート遅れ20分を超えた場合は失格。最終タイムコントロール遅れは失格。ただし、全日本選手権ではルールが異なります。
セクションにおいての減点は、フォルト1回で1点、フォルト2回2点、フォルト3回以上は3点減点。この場合のフォルトとは、ライダーの一部、または、タイヤ、フットレスト、エンジンプロテクションプレートを除く車両の一部が地面に接したり、地形(地面、木、枝、壁、石、岩、杭などをのこと)によりかかった場合のことをいいます。


“失敗”は、減点5点となるが、“失敗”とは、次のものです。
・ライダーが外部からの援助を受けた場合
・ライダーが後退してしまった場合(足を着く、着かないにかかわらず)
・ライダーまたはメカニックが、セクションの状況を変化させた場合
・車両が前進しない状態でライダーが足を着く、またはどこかに寄りかかっている、またはタイヤを除く車両の一部が地面および地形に接しているときに、エンジンが停止してしまった場合
・足つき停止状態にある時、ハンドルグリップから手を離し、ハンドルグリップ以外の車体に触れた場合
・車両のサイド、または後方に、両足をついて車両から降りてしまった場合
・車両のフロントホイールまたはリヤホイールが、セクションの境界(テープなど)を越えて接地した場合
・ ハンドルバーが地面に接地してしまった場合
・車両が完全なループを行い、その軌跡を前後輪で横切った場合
・ライダーまたは車両が、マーカーや杭などセクション表示物の現状を変化させた場合
・セクションオブザーバーに告げたあと、セクションインしなかった場合
・時間内にセクションを完走できなかった場合(セクション持ち時間がある場合)


また、次のセクションにトライしてしまった場合などのセクション見落としは、見落としたセクションに対して10点減点となります。

2)海外

トライアルにおいて、完走者とは「車両自体の動力・推進力・重力等の自然現象およびライダー自身の筋力によって人車一体となり、他人の力を借りずに規定された時間内にコース全体を走りきった者」と定義されています。その中で、減点数がもっとも少ないライダーが優勝者となります。
同点になった場合は、0点が最も多いライダーを上位とします。0点の数も同じだった場合は、1点が最も多いライダー、2点が最も多いライダー、3点が最も多いライダーという順に上位となります。それでも同点だった場合には、少ないタイムペナルティで完走したライダーを、計測されている場合は少ない所要時間で完走したライダーを上位とします。所要時間を計測していない場合、最終ラップの成績上位者が上位。最終ラップも同点だった場合、最終ラップの前のラップの成績上位者を上位とし、それでも依然として同点だった場合は、さらにその前のラップ、という順で判断します。


3)日本人ライダー

一般にはあまり知られていませんが、二輪レース界では世界レベルで活躍している選手が大勢います。しかも、シリーズチャンピオンを獲得した選手も今までに何人も存在します。その草分けは、1974年にロードレース世界選手権にプライベートで初挑戦し、1977年に350ccでの日本人初の世界チャンプ獲得した片山敬済(かたやまたかずみ)です。
その後、日本人選手の成績は低迷しますが、1993年に原田哲也(はらだてつや)がロードレース世界選手権初挑戦にして、250ccクラス初制覇という偉業を成しとげ、小排気量クラスにおいて坂田和人(さかたかずと)らとともに日本人一大勢力を築きました。


以下、ロードレース世界選手権における日本人シリーズチャンピオン。


1977 片山敬済(かたやまたかずみ) 350cc ヤマハ
1993 原田哲也(はらだてつや)   250cc ヤマハ
1994 坂田和人(さかたかずと)  125cc ホンダ
1995 青木治親(あおきはるちか)  125cc ホンダ
1996 青木治親(あおきはるちか)  125cc ホンダ
1998 坂田和人(さかたかずと)  125cc アプリリア
2001 加藤大治郎(かとうだいじろう)250cc ホンダ

4)強豪企業

モーターサイクルスポーツ界において絶対的な勢力を誇るのが、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキという日本の4大バイクメーカーです。
特に世界ロードレース選手権(世界GP)においては、最高峰クラス、500ccクラスで1975年にイタリアのジャコモ・アゴスチーニがヤマハに初タイトルをもたらして以来、500cc最後の年となった2001まで、ホンダ、スズキ、ヤマハの3社が交代でチャンピオンマシンを輩出しました。2002年からあらたに最高峰クラスとして始まったMotoGP(モトGP)クラスでもその流れは変わらず、相変わらず日本車がチャンピオンを独占し続けました。
その流れが変わったのが2007年。オーストラリアの新鋭、ケーシー・ストーナーが、イタリアンバイクの至宝・ドゥカティを駆り、圧倒的な速さでライバルを退け、ついに1973年以来の栄冠をイタリア車にもたらしました。ドゥカティはスポーツバイクを中心に走り追求型のバイクを生産し続けるイタリアのメーカーで、2003年に世界ロードレース選手権(世界GP)に本格参戦したばかりです。
また、小排気量においては、日本車が常勝し続けたのは1990年代だけで、日本車絶対優位とはもはやいえない状況です。

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