バイク買取一括査定 > バイクレースに関するアラカルト・鈴鹿8耐その2

バイクレースに関するアラカルト

鈴鹿8耐その2

6)ピットワーク

耐久レースでは、タイヤ交換、ガス補給、ライダー交代などのために、ピットインを繰り返さなくてはなりません。鈴鹿8耐でのピットインは、ほとんどのチームが約1時間ごと計7回のピットインを行います。
ピット作業は細かな規定が設けられています。タイヤ交換、ガス補給を行えるピット作業員は、4名までと決められており、作業員は決められた腕章をしていなければなりません。作業中にライダーがマシンにまたがったままならライダーも作業中とみなされ、ほかのピット要員は3名までとなっています。
ガス補給は、タイヤ交換やマシンの修復などすべての作業の最後、ライダーがピットアウトする直前と決められていて、ガス補給中はエンジンは停止してスタンドをかけた状態で行わなくてはなりません。ガス補給中はスクリーン清掃などであっても、ガス補給以外の作業は一切禁止。このとき、ライダーはマシンに乗車していてはいけません。
ガス補給、タイヤ交換、ライダー交代などの一連の作業は、ワークスチームでは、10秒そこそこで終えてしまいます。単純にガス補給約5秒、タイヤ交換約5秒の早業。このピットワークが、鈴鹿8耐で勝つための要素の1つでもあります。ピットワークでは、些細なミスで何秒もの遅れが生じることがあり、このために前日の夜遅くまでピットワークの練習を重ねるチームもあります。


7)ライトオン

鈴鹿8耐では、ゴール間近になると各車ライトを点灯して走行します。ライトオンは、フラッグマーシャルにより、午後6時45分にコントロールタワーでサインが出されます。ライトオンのサインが出されたあと、午後7時30分のチェツカーまでは夜間走行となります。このライトオンの指示は、解除の指示があるまでライトを点灯していなければならないというもので、悪天候などではなく日没でライトオンのサインが出されたのであれば、通常はチェツカーまで解除されることはありません。
故障等でライトが点灯しない車両は、ピットに戻り修理しなければ再びコースへ戻ることは許されません。ライトがつかずに緊急ピットインで順位を落としたというチームも過去に多数あります。また、耐久レースにおいて、ライトを点灯して走行することは、どのレースでもありますが、ライトを点灯したままチェッカーを受けるレースはあまり例を見ません。その点でも、鈴鹿8耐は特異なレースといえます。

8)歴代ポールポジション

鈴鹿8耐の歴代ポールポジションは次の通り。


1978年 杉本五十洋/デビッド・エムデ(ヤマハTZ750)
1979年 グレーム・クロスビー/富江昭孝(カワサキZ1)
1980年 ウェス・クーリー/グレーム・クロスビー(スズキGS1000)
1981年 ワイン・ガードナー/ジョン・ペイス(モリワキモンスター)
1982年 ピエール・エティエーン・サミン/ドミニク・ペルネ(ブスズキGS1000R)
1983年 グレーム・クロスビー/ロブ・フィリス(スズキGS1000R)
1984年 レイモン・ロッシュ/ワイン・ガードナー(ホンダRS750R)
1985年 ケニー・ロバーツ/平忠彦(ヤマハFZR750)
1986年 ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン(ホンダRVF750)
1987年 ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン(ホンダRVF750)
1988年 ケビン・マギー/ウェイン・レイニー(ヤマハYZF750)
1989年 ワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン(ホンダRVF750)
1990年 ワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン(ホンダRVF750)
1991年 ワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン(ホンダRVF750)
1992年 武石伸也/岩橋健一郎(ホンダRVF750)
1993年 マイケル・ドゥーハン/ダリル・ビーティー(ホンダRVF750)
1994年 スコット・ラッセル/テリー・ライマー(カワサキZXR750R)
1995年 アンソニー・ゴバート/北川圭一(カワサキZXR750R)
1996年 アーロス・スライト/岡田忠之(ホンダRVF/RC45)
1997年 武田雄一/加藤大治郎(ホンダRVF/RC45)
1998年 伊藤真一/宇川徹(ホンダRVF/RC45)
1999年 伊藤真一/宇川徹(ホンダRVF/RC45)
2000年 芳賀紀行/吉川和多留(ヤマハYZF-R7)
2001年 梁 明/加賀山就臣/渡辺篤(スズキGSX-R750)
2002年 アレッシャンドレ・バロス/武田雄一(ホンダVTR1000SPW)
2003年 辻村猛/伊藤真一(ホンダCBR954RR)
2004年 辻村猛/伊藤真一(ホンダCBR1000RR)
2005年 辻村猛/伊藤真一(ホンダCBR1000RR)
2006年 辻村猛/伊藤真一(ホンダCBR1000RR)
2007年 岡田忠之/カルロス・チェカ(ホンダCBR1000RR)

9)歴代ウイナー

鈴鹿8耐の歴代ウイナーは次の通り。


1978年 ウェス・クーリー/マイク・ボールドウィン(スズキGS1000)
1979年 トニー・ハットン/マイク・コール(ホンダCB900)
1980年 ウェス・クーリー/グレーム・クロスビー(スズキGS1000)
1981年 マイク・ボールドウィン/デビッド・アルダナ(ホンダRS1000)
1982年 飯嶋茂男/萩原紳治(CB900F)
1983年 エルブ・モアノー/リカルド・ユービン(スズキGS1000R)
1984年 マイク・ボールドウィン/フレッド・マーケル(ホンダRS750R)
1985年 ワイン・ガードナー/徳野政樹(ホンダRVF750)
1986年 ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン(ホンダRVF750)
1987年 マルチン・ヴィマー/ケビン・マギー(ヤマハYZF750)
1988年 ケビン・マギー/ウェイン・レイニー(ヤマハYZF750)
1989年 ドミニク・サロン/アレックス・ビエラ(ホンダRVF750)
1990年 平忠彦/エディ・ローソン(ヤマハYZF750)
1991年 ワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン(ホンダRVF750)
1992年 ワイン・ガードナー/ダリル・ビーティー(ホンダRVF750)
1993年 スコット・ラッセル/アーロン・スライト(カワサキZXR-7)
1994年 ダグ・ポーレン/アーロン・スライト(ホンダRVF/RC45)
1995年 アーロン・スライト/岡田忠之(ホンダRVF/RC45)
1996年 コーリン・エドワーズ/芳賀紀行(ヤマハYZF750)
1997年 伊藤真一/宇川徹(ホンダRVF/RC45)
1998年 伊藤真一/宇川徹(ホンダRVF/RC45)
1999年 岡田忠之/アレッシャンドレ・バロス(ホンダRVF/RC45)
2000年 宇川徹/加藤大治郎(ホンダVTR1000SPW)
2001年 バレンティーノ・ロッシ/コーリン・エドワーズ/鎌田学(ホンダVTR1000SPW)
2002年 加藤大治郎/コーリン・エドワーズ(ホンダVTR1000SPW)
2003年 生見友希雄/鎌田学(ホンダVTR1000SPW)
2004年 宇川徹/井筒仁康(ホンダCBR1000RRW)
2005年 清成龍一/宇川徹(ホンダCBR1000RRW)
2006年 辻村猛/伊藤真一(ホンダCBR1000RR)
2007年 加賀山就臣/秋吉耕佑(スズキGSX-R1000)

10)レースクイーン

レースクイーンは、もはや鈴鹿8耐に欠かせない存在といえます。鈴鹿8耐が始まった当初は、まだ水着やレオタード姿のレースクイーンはサーキットに登場しておらず、鈴鹿サーキット所属の鈴鹿レースクイーンが花を添えているだけでした。それが、1980年代に入ってからはサーキットに水着姿の女性が突如現れました。当時は、ロケーション的にかなりミスマッチと思われ注目を集めることになりました。
1986年頃のレースクイーンは、衣装が水着からレオタードへと変化します。そして1990年代に入り、ピットウォークやスターティンググリッドでレースクイーンがパラソルを持つチームは、大手チームだけとは限らなくなってきました。かなりの人数のレースクイーンが、真夏のサーキットにあふれることになりました。
1990年代後半から2000年代にかけては、レオタード姿のレースクイーンは減少することとなり、かわりにレースクイーンは凝った衣装に身を包むようになります。

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